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執筆者の写真ヨシカネタクロウ

忘れられない日。

今日はきっと皆さんも忘れられない日だったのではないだろうか。

1995.1.17

実家の四畳半の部屋で強い揺れの直前の微震で起きた。

「来る」

その瞬間に大きな揺れを感じた。

しばらくしてテレビをつけたら戦場のような光景が映し出されていた。

何が起きたかはすぐにわかった。

何日かたった職場では、

現地に応援に行く職員を募っており

応援を志願し現地へ向かう先輩の背中を見ながら

手を挙げる勇気がなかった二十歳の自分。

あれから23年。

まずはとにかく被害を受けてしまった方々へ祈る。 この日から16年後、 東日本大震災が起き、手を挙げられなかった二十歳の自分が見えた。

僕に何ができるのかを考えた時、音楽しかないと思った。

でも何からはじめればいいのかわからないまま

また奥手の自分に対して悶々としていた。

友人である、のちにがんばっぺし☆なごやのリーダーになる

白い海というバンドのmullaは、

「帰ったら詳しく話す」とだけ言い残し、震災後現地を訪れ

また僕はその動向をtwitterで確認していた。

帰りの足のまま居酒屋で話を聞いた。 「仮設住宅の人と知り合って、音楽やれるならやってほしいと言われた」

そこからはじまったのが

我々が所属する、東日本大震災復興応援チーム「がんばっぺし☆なごや」である。

これまで2012年から年に3回ほどずつ

主に岩手県陸前高田市の仮設住宅や復興住宅にて

「みんなで唄う音楽会」を開催している。

この活動の中で学んだことは

人間の優しさです。

僕は決して優しい人間ではないけど

いつか優しい人間になりたいと思うきっかけになった。

それもこれも23年前の今日がなかったら

そんな風に思えなかったわけです。

また、この活動に参加しなかったら

僕は音楽を辞めていました。

震災後音楽を通じて知り合えた人たちとも

今日という日がなければ出会えなかったことになります。

「ありがとう」という言葉は

ここでは相応しくないと思われる人もいるかもしれませんが

僕の気持ちは「ありがとう」

そして1995.1.17を忘れない、

いや忘れられないから

今ある感謝の気持ちとともに改めてお祈りいたします。

よしかねたくろう

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